この記事は
「袴田事件ってなに?」
「袴田事件を振り返りたい。」
といった方に向けてこの記事は書いています。
こんにちはsudachiです。
皆さんは48年間、冤罪事件に巻き込まれ拘束されることが信じられますか?
「袴田事件」
これは実際に日本で起きた最大級の冤罪事件の1つです。
2024年9月26日、再審により袴田さんには無罪が言い渡されました。
また10月8日、検察は控訴しない方針を示しました。
袴田さんの無罪が確定した今、袴田事件について振り返ります。
袴田事件の概要と無罪確定までの流れ
袴田事件は、日本の刑事司法史上最も長期間にわたる冤罪事件の一つです。
元プロボクサーの袴田巌(はかまだ いわお)さんが、1966年に静岡県で発生した一家4人殺害・放火事件で逮捕され、死刑判決を受け、その後50年以上もの間、冤罪を訴え続けました。
以下は、事件の概要から無罪確定に至るまでの流れを詳しく説明します。
1. 事件の発生と袴田巌の逮捕
事件の発生
1966年6月30日、静岡県清水市(現静岡市清水区)で、味噌製造会社の専務宅が放火され、その家の中で専務一家4人(専務、その妻、長女、長男)の遺体が発見されました。
全員が刃物で刺されたり殴られたりした上で、家が燃やされていたことが判明しました。
警察は、金銭目的の犯行だと考え、捜査を進めました。
袴田巌の逮捕
袴田さんはこの味噌製造会社で従業員として働いており、事件の直後に警察の捜査対象となりました。
1966年8月18日、袴田さんは逮捕されます。
彼は当時30歳の元プロボクサーで、事件の直前まで会社に勤めていました。
逮捕後、袴田さんは約20日間にもわたる過酷な取り調べを受け、その中で自白に追い込まれました。
しかし、彼の自白は取り調べの際の圧力や暴力によるものであり、本人は後に「自白は強要されたものだ」と主張しています。
実際、逮捕後に自白を翻したにもかかわらず、警察はその自白を有力な証拠としました。
2. 証拠と裁判の進行
5点の衣類
事件発生から1年以上経った1967年8月、警察は味噌タンクの中から「5点の衣類」を発見しました。
これらの衣類は、犯行時に袴田さんが着ていたものだとされ、血痕が付いていると主張されました。この「5点の衣類」は、後の裁判において最も重要な物的証拠となります。
しかし、この衣類に関しては多くの疑問が残りました。
まず、衣類は袴田さんの体型に合わないこと、また味噌タンクの中で長期間保存されていたにもかかわらず、衣類の保存状態が良すぎるという点などが挙げられました。
さらに、血痕のDNAが袴田さんのものではない可能性が後に浮上します。
一審の裁判と死刑判決
1968年9月、静岡地方裁判所は袴田巌に対して死刑判決を言い渡しました。
裁判での有力な証拠は、袴田さんの「自白」と「5点の衣類」でしたが、袴田さんは自白が強要されたものであると一貫して主張していました。
また、物的証拠の信憑性も疑問視されていましたが、裁判所はこれを退け、死刑判決が下されました。
3. 再審請求運動とDNA鑑定の進展
冤罪を訴える運動
袴田さんの姉、袴田ひで子さんは、弟が冤罪であると信じ、長年にわたって再審請求を続けました。
また、弁護団や市民団体も加わり、袴田さんの冤罪を訴える運動が広がっていきました。
この運動の一環として、新たな科学技術であるDNA鑑定を使った証拠再検証が求められました。
DNA鑑定の結果
2000年代に入り、DNA鑑定技術が進展したことで、再度「5点の衣類」に付着していた血痕のDNA鑑定が行われました。
2008年に行われたこの鑑定の結果、衣類の血痕が袴田さんのDNAとは一致しないことが明らかになり、これまでの証拠の信憑性に大きな疑問が生じました。
4. 再審決定と袴田巌の釈放
静岡地裁の再審決定(2014年)
DNA鑑定の結果や物的証拠の不備に基づき、袴田さんの弁護団は再審請求を行いました。
そして、2014年3月27日、静岡地方裁判所は再審を開始する決定を下しました。
この時点で、袴田さんはすでに48年間も拘束されており、体調が悪化していたため、裁判所は釈放も認めました。
袴田さんは48年ぶりに拘置所を出て、家族と再会を果たしました。
検察側の異議と再審の長期化
しかし、検察側はこの再審決定に異議を唱え、再審を阻止しようとしました。
2018年には東京高等裁判所が再審を認めない決定を下し、一時的に再審請求は停滞しましたが、2020年に最高裁判所が高裁の判断を覆し、再び再審開始が決定しました。
5. 無罪確定
2024年9月26日に袴田巌さんの無罪が再審公判で言い渡されました。
2024年10月8日には検察が控訴しない方針を示し、これにより袴田さんの無罪が正式に確定しました。
このことに関し、裁判官は謝罪し2億円の賠償を求めています。
6. 結論と袴田事件の影響
冤罪事件の象徴
袴田事件は、日本の刑事司法制度において重大な課題を提起した事件として知られています。
この事件を通じて、自白偏重の捜査手法や物的証拠の精査不足、そして長期間にわたる拘禁の問題が浮き彫りになりました。
特に、DNA鑑定技術の進展が事件の再検証に大きく貢献し、袴田さんの無罪を確定させる決定的な要因となりました。
袴田さんの長期間の拘束
袴田さんは、1966年に逮捕されてから2014年に釈放されるまで、48年間にわたって死刑囚として拘束され続けました。
この長期拘束は、日本の刑事拘禁史上最長のものであり、国際的にも注目されました。
刑事司法改革への影響
袴田事件をきっかけに、刑事司法制度の改革が求められる声が高まりました。
特に、自白に頼る捜査手法の見直しや、冤罪防止のための証拠の科学的検証の重要性が強調されています。
また、長期間の拘禁や再審請求の難しさについても、多くの議論が行われています。
終わりに
袴田事件は、個人の人生が冤罪によってどれほど大きく変わってしまうか、そして司法制度が人々にどのような影響を与えるかを象徴する事件です。
袴田巌さんは、事件の発生から57年、拘禁されてから48年という途方もない時間を経て、ようやく無罪を勝ち取りました。
この事件を通じて、日本の刑事司法制度における問題点が浮き彫りとなり、冤罪防止に向けた改善が求められています。
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